たたら製鉄では、木炭を大量に使うので、たたら経営には広大な山林を必要としました。
鉧押し法は、3昼夜連続操業して1回の操業を終えます。これを一代(ひとよ)と言い、一代に必要な木炭の量は約12トン(日刀保たたらの場合)で、これを生産する森林面積は約1ヘクタールが必要とされました。
たたら製鉄が盛んであった江戸時代後期は、年間約60回の操業が行われ、かつ、たたら炭に適した木の樹齢は30年以上とされますから、一ヶ所でのたたら操業を継続するには約1800ヘクタールの森林面積を確保する必要がありました。しかも木炭は輸送にかさばるので、その制約から、たたらの立地条件は「粉鉄七里に、炭三里」といわれ、砂鉄の採取範囲を七里(約21Km)としているのに対して、製炭範囲は三里(約12km)以内に限定したため、広大な山林を必要とし、たたら経営者はまさしく山林王でありました。
たたら炭はいわゆる「たたら」用の大炭と鍛冶用の小炭に区別されます。小炭は主に地元の農民を雇ったり、農家の副業として焼かせたりしましたが、大炭は原則として鉄山の炭焼きが支配する山子が焼きました。その理由は、小炭は酸化炎を得るための熱源であり、普通の消し炭風に焼けばよいが、たたら用大炭は、多量に使用することと、炭の良し悪しが直接にたたら製品の質、量に響いてくるので、全て、たたら場の直営で生産しました。
その焼き方にも秘伝があり、各たたら場で多少違った方法で焼いていたが、要は,還元炎を得ることが主目的でありました。「木頭が残っているが、叩けば砕ける程度」の焼き方、つまり少し生焼けで固定炭素が少なく、揮発分は多く、カロリーのやや低いものを良とし、現代の工業用炭を少し生焼けにした程度のものでした。
原木は、「鉄山秘書」によれば、大炭用は、松、栗、槙が最も良いといわれ、ブナもよいが杉はいくらか落ち、シデ、こぶし、桜などは具合が悪いと記されています。山陰でいう槙は関東のナラ等の雑木のことで、実際には、たたら用大炭として最上とされました。松などはたたらでの特別の時、すなわち一般には、火付け時とか温度をあげるために役立つところに使い、還元炎を得るにはあまり望ましい炭ではないとされました。しかし、小炭用としては最も良いものとされました。
参考までに、木炭の木口の基本骨格をナラ炭と赤松炭について、電子顕微鏡で拡大してみると、いずれもハニカム構造ですが、ナラ炭は孔径が小さく壁が厚くできており、松炭は孔径が大きくて壁が薄い構造となっています。これらの炭を燃料として使うときは、松炭のように孔径が大きいほど、酸素が炭の内部に入り易く、反応して出来た一酸化炭素ガスの拡散も速いので火付きが良く、すぐに高温が得られます。反対にナラ炭などは孔が小さく壁も厚いので、燃焼速度が遅く、一定温度で燃焼を持続し火持ちがよい特徴があります。

ナラ炭 赤松炭
木炭木口組織の電子顕微鏡観察(2000倍)