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鉄穴流し (かんなながし)

たたら製鉄の鉄原料である砂鉄は地下のマグマが冷却して形成した火成岩の風化残留物で、もとは小さな粒となって花崗岩などの岩石の中に含まれています。こうした砂鉄には、風化した母岩中から直接採取する山砂鉄と土砂と一緒に河川に流れ込み自然に淘汰されて土砂と分離し川床などに堆積した川砂鉄、さらに海に押し流されて波によって更に淘汰分離され海浜に打ち上げられて堆積する浜砂鉄の3種に大別されます。
このうち、山土に微量に含まれる(0.5~10%程度)山砂鉄を採取する方法として、中国山地では、とくに宝暦年間から「鉄穴流し(かんなながし)」という方法が行われるようになりました。幕末期の記録(「芸藩通志」「日本山海名物図会」「鉄山秘書」など)にのこっている鉄穴流しの方法は大雑把に分けると採取と洗鉱の2つの仕事からなります。
その作業は、まず適当な地質の山を選び、花崗岩系の風化した砂鉄母岩を切り崩し、予め設けてあった水路(走りまたは井出という)に流し込みます。この走りを押し流される間に土砂は破砕されて土砂と砂鉄は分離され下場(洗場、本場ともいう)に送られます。下場では、一旦、砂溜り(出切り)に堆積されたのち、大池、中池、乙池、洗樋と順次下流に移送しますが、その際、各池では足し水を加えてかき混ぜ軽い土砂を比重の差で砂鉄と分け、バイパスで下流へ吐き出しながら砂鉄純度を高めて下流の池に移送し、最終的には80%以上の砂鉄純度にしました。
一方、この方法は多量の土砂が下流に流出し、農業かんがい用水に悪影響を与えることから、一時期、農民の嘆願を受けて城郭の堀が埋まるとの名目で禁止されましたが、鉄山師の強い要請と藩財政を維持するために操業期間を農閑期である秋に彼岸から春の彼岸までと定めて解禁となり、逆に農民の冬場仕事ともなって農民にとって良い収入源であるとともに、鉄山自体もこれらの季節労働に大きく依存しました。
また、鉄穴流しの跡地や、土砂流出によって膨大な土砂が下流に堆積して生じた平地は田畑として耕作され、山内(さんない:たたら集団の部落)の食糧の一部を補いました。今日、中国山地で棚田として残っているものはこのようにして形成されたものが多いのです。
 kannayama
鉄穴流し(山作業)

 

kannaike

鉄穴流し(大池)